SSブログ

日本の古典文学への誘い その1 [読書]

などとたいそうなタイトルをつけてみたが、なんのことはない、自分がこれまで読んできた古典の感想を適当に書くだけだ。
う~ん。
ますますこのブログのテーマが散漫になっていく(^^;)

5年の学習に載っていた読み物を探す一連の記事でたいへんお世話になったmiddrinnさんのブログへちょくちょくお邪魔させていただいていたのだが、その中で古典のお話が出たので、最近ちょっと止まってるけどそーいえば読んでいたなぁと思い出して、ちょっと読書録も兼ねて書いておこうと思ったしだいだ。

さて、そもそも自分が古典に興味を持ったのはいつだろうか。
思い出すに、いきなり古典ではなく、まず歴史(特に日本史)に興味を持ったのが素因としてあると思う。
ではそれはいつか。
自分の世代では学校で日本史を習うのは6年生だったのだが、その時にはすでに日本史が好きだった。
当時、日本通史をマンガで描いた小学館の『(少年少女)日本の歴史』をすでに読んでいた。
この「マンガ日本史」というジャンルは、今でこそいくつかの出版社から出ているが、この小学館のシリーズが最初だったように思う。

続きを読む


nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:

35年ぶりの再会!『SOS! 時計よとまれ』 ※ネタバレ注意 [読書]

『SOS! 時計よとまれ』 さとうまきこ/作 伊藤良子/絵 1986年

5年の学習に連載されているのを読んで以来、ずっと読みたくてかなわなかった物語。
この間の経緯のとおりで図書館からの貸し出しという形であれ、ついに再読ができた。
なかなか興奮が収まらなくて、ようやく落ち着いてきた。

内容については、こちらの記事で書いた以下の記憶はほぼ合っていた。

ある男の子(当然5年生という設定だと思う)が不思議な時計を手に入れる。
で、それが(おそらく逆に)動き出したところ、両親がどんどん若返ってしまい、子供にやがては赤ちゃんになってしまう。
そしてその時計がもうひとつあったのかどうか忘れたが、隣?に住んでた女の子の両親も同様に幼くなっていってしまう。
男の子と女の子は、何とか時計をとめようと二人でいろいろ試すがなかなかとまらない。
その一方で、ミルクを飲ませたりと、自分たちの親の世話で手一杯、疲れ果ててしまう。
そのうち「このまま親が小さくなっていったらどうなるの?」「赤ちゃんより小さくなるってどういうこと?」「この世界から消えてなくなっちゃうの?」
などという心配、というか恐怖にさいなまれて・・・

違っていたのは、女の子は隣ではなく同じマンションの1階だったこと、女の子の方は両親が離婚していて母親だけだったこと、親が元に戻らなくなるのを恐れてあまり時計をいじろうとはしなかったこと。
これくらいかな。

あと、ほかに覚えていたのは、二人が疲れ果てて、背中合わせに座り込んでいる挿絵。
まさにラブコメ成分。
この絵もちゃんと載っていた。

続きを読む


nice!(2)  コメント(2) 
共通テーマ:

タイトル判明!&入手 1983年 学研「五年の学習」掲載読み物 「時計よ止まれ」 [読書]

こちらの記事でとりあげた、タイトル、著者ともに不明だった作品の件。

なんとなんと、タイトル判明しました!

コメントいただいたmiddrinnさんのアドバイスで、国会図書館に問い合わせ。

まずは無料の「記事掲載箇所調査申込」で、1983年4月号~1984年3月号の範囲で、目次だけを検索してもらえるサービスを利用して、目的の読み物があるかどうかを確認。
しかし、このサービスは
「このサービスは複写のために特定の記事や論文の掲載箇所(巻、号など)を調査するサービスです。
記事の掲載箇所を目次などで確認できる範囲で調査します。
本文を読まなければ掲載箇所を特定できない調査の依頼はお受けできませんのでご了承ください」
というもので、あくまで目次に載っている情報だけしか検索してもらえないため、タイトル不明、作者不明のままでの問い合わせでは、残念ながら成果なし。

仕方ないので、有料になるが、「遠隔複写」のサービスで目次の複写を取り寄せることに。
同じ1983年4月号~1984年3月号の範囲で各号目次の遠隔複写を取り寄せた。
12冊×各号目次2ページ分+送料他で約1,000円(着後払い)。
1週間ほどで郵送で届いた。

続きを読む


nice!(3)  コメント(4) 
共通テーマ:

天文学の真のブレイクスルーとは? コペルニクス、ブラーエ、ケプラー [読書]

そもそもダーティペアとスポーツを中心としていながら最近迷走中の当ブログ。
今回はなんと科学史に挑戦。大丈夫か?

今回紹介するのはこの本。

 中公新書『科学史年表』(著・小山慶太)
     (以下、太字はこの本からの引用)

さて、「コペルニクス的転回」という言葉を聞いたことがある方は多いと思う。
それまで当たり前に思われていたことが実は違った、というときに引用されたりする。

そのコペルニクスとは、もちろん、いわゆる「地動説」をとなえた16世紀の人間だ。
中世ヨーロッパでは、地球が宇宙の中心にあるという「天動説」が多くの人間に信じられ、また権威ある教会が強力に支持をしていた。
コペルニクスはそんな社会の中で、「天動説」は間違いで「地動説」が正しいと書き残した。
後年、その考えが正しいことが証明され(たかに思え)、偉大なる科学者として認知されるようになった。
少なくとも、現在の日本では一般にコペルニクスの功績がそのように認知されているように自分は感じる。

しかし、冷静に史実を見つめると、「地動説」は決してコペルニクスのオリジナルではなく、紀元前にすでにかなり高度なレベルで「地動説」は唱えられていた。

コペルニクスは『天球の回転について』(1543年)の冒頭で、わざわざ、実名を列挙し、ギリシア時代すでに、地球が動いていると唱えた哲学者たちがいたことを強調している。

時代はやや下ってコペルニクスの死後、16世紀後半、ひとりの天文観測家が、肉眼での観測としてはこれ以上ないという精度の天文観測記録をつけていた(当時望遠鏡はまだ発明されていない)。
その名はティコ・ブラーエ。

続きを読む


nice!(3)  コメント(6) 
共通テーマ:学問

タイトル不明 1983年 学研「五年の学習」掲載読み物 両親が子供になってしまう [読書]

「科学・学習」といえば、自分たちの世代ではおそらく知らない人はいない、学研の学習雑誌だ。
「〇年の科学」「〇年の学習」というように小学1年生から6年生まで学年ごとに毎月発行されていた。
自分のところでは、学校に販売員が売りに来ていた。
幸い我が家では親の理解があり、自分は両誌とも購入して楽しんでいた。

今回は、その「科学・学習」に載っていた読み物(小説)の思い出だ。
小説のタイトルは思い出せない。
ただ、縦書きだったので「学習」の方だったのは確かだと思う。
(「学習」は左開きの縦書き、「科学」右開きの横書きだった)

また、本の大きさから5年生時のものだったはず。
「学習」は「四年」まではB5くらいで「五年」以上はA5くらいの判型だった。
しかし、自分が6年生になったときに、「五年」以上も「四年」以下と同様に大きくなった。
すわなち小さいサイズの「学習」を自分が読んだのは5年生時のみで、この物語は小さいサイズの方で読んだ記憶があるからだ。

ブログタイトル通り、自分は1972年生まれなので、5年生と言えば1983年度になる。
よって、1983年の「五年の学習」まで絞り込めるはず。

続きを読む


nice!(1)  コメント(7) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。