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「こちら葛飾区亀有公園前派出所」200巻 読了! 「両ちゃん」と「勘吉」 ※ネタバレ注意 [コミック]

以前から時間を見ては読み進めていた「こち亀」。
ついに最終200巻に到達。
連載終了時のジャンプを読んでいないので、どんな終わり方なのか、楽しみな気持ちと心配が入り混じったなんともいえない気持ちで読んだ。

結論から言えば、「う~ん・・・」
これで終わり?
ちょっと肩透かしをくらった気分。
200巻を読んだだけでは、連載の最終回がどの話なのか断定できなかった。
しいて言えば、纏の祖母夏春都の夫の形見の時計を両津が直して返すエピソードがそれにあたるのだろうか?
「うる星やつら」の記事でも書いたが、1話完結ギャグ漫画は終わらせ方が難しいと思う。
それにしても、この「こち亀」の終わり方はなんといっていいか・・・
おそらく、日常を描いて「連載の最終回」とはしたものの、「こち亀の最終回」はあえて描かなかったのではないだろうか。
後に機会があったときにいつでも「こち亀」を描くことができるように。
そう考えると、この終わり方も納得がいく。

さて、このブログは「麗子押し」であることを、これまでの記事を読まれた方は知っていると思う。
その観点から、振り返ってみよう。


連載前半、実質上の紅一点として活躍していた麗子。
ところが中期以降、両津に親しく接する女性が次から次へと登場してくる。
マリア(最初は男だったが後に女性になる)、早矢、そして纏など。
中でも纏は、両津とは又従妹、実家は高級寿司屋で両津が居候する、などということで、他の女性キャラとは一線を画し、ともすれば、麗子よりも両津に近しい存在のように描かれることも多い。
他の途中出場の女性キャラの出番がそれほど多くないのに対し、纏は登場後は連載終了まで、主要キャラとして登場しており、時期によっては麗子より多く出てくる。

自分のような古い読者は麗子にこだわるのかもしれないが、数十年も連載をしていれば、新しい読者がついて、新しいキャラが人気になるのは仕方ないことだし、ある意味健全なことともいえる。
とはいっても、「こち亀」の世界の中で、麗子の存在は特別であってほしいという願望はぬぐえない。

だが、他の女性キャラが崩せなかった麗子の牙城を、纏は次々と崩していく。
象徴的なもののひとつが両津に対する呼び方だ。
麗子が両津のことを親しみを込めて「両ちゃん」と呼ぶのに対し、纏は男勝りな性格と、身内の気軽さもあって「勘吉」と呼ぶ。
いずれも、彼女らだけが呼ぶ特別な呼び方だ。
また、麗子の指定席だった、両津の自転車の荷台に、纏が乗ることもあった。
この自転車のシーンは何気なく描かれていたが、自分はこれを見たとき、纏がいよいよ麗子を脅かす存在になったのだと思った。

そもそも、麗子は美人だが気が強いのが大きな特徴で、両津と丁々発止繰り広げることができるその一方で、両津に親しみを持っている唯一の女性であり、それが麗子の魅力でもあった。
纏はその「気の強さ」と「両津への親しみ」持つもう一人の女性として現れた。
両津が纏の実家に居候することで必然的にいっしょに行動することが多くなる。
また、纏には年の離れた妹の檸檬、蜜柑がいるが、両津といっしょにいることで、疑似家族的に思えるような描かれ方もしていた。
さらに、檸檬もいっしょではあるが、遊びに行った先で同じテントで当たり前のように寝る。

このように、纏がこれまで麗子がいたポジションを奪ってゆく一方で、麗子のセレブ描写がどんどん過激になっていく。
早い時期から世界一クラスだった中川家と違って、秋本家はせいぜい日本有数の貿易会社だった。
それが、どんどんとセレブ度が上がっていき、中川家に近づいていく。
ところが、麗子のセレブ度が上がれば上がるほど、麗子の個性は没し「ただのセレブ美女」「女版中川」としか見れなくなってきてしまう。
本来の麗子が持っていた、「ちょっといいとこの娘なのに庶民感覚も忘れず、両津にも負けない気の強さを持ちながらも、その(他の女性からは忌み嫌われる)両津に親しみを持って接する」という魅力がなくなっていってしまうのだ。
当初はやり込めていた両津に対しても、だんだん逆らえなくなり、髪を引っ張られたりヘッドロックをされたりと、両津との力関係が変わっていく。

一方で纏はというと、「勘吉」と丁々発止繰り広げることが日常的に見られる。
麗子が変わったから纏が出てきたのか、纏が出てきたから麗子が変わったのか、どちらが鶏でどちらが卵なのかはわからないが、明らかに麗子の存在感が相対的に低くなってしまった。
さほどに、纏は読者の人気があったのだろう。

ただ、ひとつだけ、「麗子押し」として胸をなでおろすことができるのは、纏が両津に持っている親近感はどちらかというと「親戚」「居候」「同じ下町育ち」ということからくるものであって、「男性」として両津を意識をしているものではない、というところか。
両津を「男性」として意識した女性といえば、マリアや早矢があげられるが、こちらは登場回数も纏に比べれば非常に少ないし、もちろん麗子に対抗できる立場にはならなかった。

さて「麗子押し」の立場からいろいろと書いてきたが、これはあくまでラブコメ脳に侵された自分の個人的嗜好の話であって、それで「こち亀」がつまらなくなったというわけではない。
作風、画風の変化はあっても、40年間にわたって「こち亀」は最後まで「こち亀」だった。
23歳の青年漫画家が、63歳の初老(失礼!)までひとつの作品を描き続けたというのは驚くほかない。
このことについては率直に敬意を表したい。

ただ、自分の好みとしては、麗子登場~80巻くらいがよかったかも。
「麗子×両津」の読み切りでも描いてくれないかな(笑)



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