SSブログ

日本のラグビーについて思うこと、その他徒然・・・ その1 [ラグビー]

史上初の決勝トーナメント進出という大きな結果を残して、ラグビー日本代表のW杯日本大会の戦いは終わった。
その日本代表の活躍に伴って、ラグビーW杯は大きな盛り上がりを見せた。
それは「にわか(ファン)」という言葉が社会に広まるほどだった。

元ラガーマンのはしくれである自分だったが、正直、ここまでの盛り上がりは予想できなかった。
今大会の日本開催が決まったときも、嬉しい、というより、大丈夫か?という思いの方が強かった。
近年、国内外のラグビーの試合もほとんど見ることもなくなっていて、そういう意味では自分も「にわか」だったと言ってもいい。
だが、今大会の全試合をTVで見ていて、久しぶりにラグビーの面白さを思い出したような気がする。

先ほど「元ラガーマン」と書いたが、実は自分は高校生時、ラグビー部だった。
(2年以上前だがこのブログ記事で触れたことはある)
決して強豪という程ではなかったが、県大会ではほぼ必ずベスト8までは進出し、1回戦では、100点ゲームで勝ったこともある。
ちなみに当時はまだトライは4点(今は5点)で、試合時間も前後半30分ハーフだった。
はっきりいって一番疲れた試合はこの100点取って勝った試合だった。
とにかく、自チームがボールを持ったらほぼ間違いなくそのままトライを「してしまう」ので、50m以上のダッシュをひたすら繰り返す、という地獄のような状態だった(^^;)

話としてはちょっと逸れてしまうが、それと同じくらい疲れたのが、7人制の試合だった。
公式大会ではなかったが、一度7人制の大会に出場したことがある。

3年生最後の大会(春に行われる。自分の高校ではこの大会で3年生は引退することになっていた)もベスト8の壁を破ることができず、自分たち3年生の高校ラグビーは終わった。
が、その後に7人制の大会があった。
7人制の練習などほとんどしたことがなかったが、先生からの勧めもあり、出場することになった。
すると、直前の県大会(15人制)で優勝した高校を破り優勝してしまったのだ。
しかし、本当に体力的に厳しく、自分は全試合に出場することができなかった。

今度こそこれで最後だと思っていたが、秋になって、全国高校ラグビー選手権大会、いわゆる「花園」で行われる全国大会の県予選が始まる。
(ちなみにラグビーは夏のインターハイでは行われず、この「花園」がインターハイを兼ねていた)
1・2年生だけでは15人揃えることができず、自分も含め3年生が数人出場することになった。
試合は残念ながら、最後に自分のミスによって1回戦で負けてしまった。
後輩に申し訳なくて、号泣したことを覚えている。

そういえば、自分のポジションを書いてなかった。
バックスでいくつかのポジションを務めた後、最終的にはウイング(右、14番)に落ち着いた。
体が小さかったこと、一応俊足の部類に入っていたことが、主な理由だった。
逆に言えばスタンドオフ(10番、現在海外ではフライハーフという)としての戦術眼や技術、センター(12、13番)としての体の強さがなかったとも言える(^^;)
(スタンドオフ=司令塔的存在)
(センター=バックスの中では接触プレーの機会が多く体の強さを求められる)
先述の100点ゲームで疲れたのもウイングならでは、の部分も大きい(^^;)


ところで、どうして自分がラグビーを始めたのか?
それについてはまた次回の記事で。
今回はとりあえずここまでで・・・


あれ?記事タイトルと内容が全然違うね(^^;)
日本のことじゃなくて自分のことしか書いてないじゃん。
まあ、そのうち繋がると思う。たぶん。おそらく。繋がってほしいな。


nice!(5)  コメント(2) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 5

コメント 2

燃焼豚

正しく人に歴史ありですな。あまり目立ってはいませんが今でも学生ラグビーは花形スポーツだったことをしりました。
by 燃焼豚 (2019-11-10 16:03) 

enokorogusa

当時は正月2日に行われていた大学選手権の準決勝で、国立競技場が超満員でした。
学生スポーツとしては、対戦校によっては、東京六大学野球をしのいで最も観客が入っていたのではないでしょうか。
自分は高校ラグビーの県予選敗退レベルなので、観客がいる試合などなかったですが(^^;)
by enokorogusa (2019-11-11 08:33) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。