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不死鳥、逝く  ニキ・ラウダ死去 [その他スポーツ]

F1チャンピオンに3度輝いた伝説的ドライバー、ニキ・ラウダが5月20日、死去した。
享年70。

1970年代のスーパーカーブームを経験した方ならその名を知らない方はほとんどいないだろう。
1976年と77年には富士スピードウェイでF1レースも開催されるなど、F1レースに対する関心も高まった。

そんな当時、F1ドライバーとして真っ先に名前が挙がるのがニキ・ラウダではなかったか。
F1の象徴、フェラーリのドライバーとして、1975年、1977年と、チャンピオンに輝いた。

が、ある意味それ以上に彼の名を有名にしたのは、1976年、大事故から奇跡の生還を果たしたことだ。
クラッシュしたマシンはすぐさま大きな炎に包まれ、ほとんどの人間がラウダの死を覚悟した。
助け出されたものの、激しい火傷と、高温の空気を吸い込んだ肺の損傷はひどく、運ばれた病院で生死の境をさまよい、一時は牧師が病室に呼ばれるほどだった。

しかし、そこから驚異的な回復を見せ、わずか6週間後のレースで復帰した。
それでも、頭部に負った火傷はひどく、顔の右半部は大腿部の皮を移植した痕が生々しく残り、また、右側の耳は外耳が焼けてかなりの部分が欠損してしまっているなど、その姿は正視するのが難しいほど痛々しかった。
ヘルメットの下にかぶるマスクは血が滲んで真っ赤になっていたという。

結局その年は最終戦の富士スピードウェイでの大雨のレースをみずからリタイア。
逆転されてチャンピオンにはなれなかった。
しかし翌77年には再びチャンピオンの座についた。

そんなエピソードからついたあだ名が「不死鳥」(海外ではどうだったかは知らないが)。
不死鳥、ニキ・ラウダ。
ラウダといえば不死鳥。
日本ではほぼ常に「不死鳥 ニキ・ラウダ」と紹介された。
まるで二つ名のように、「不死鳥」と「ラウダ」はセットだった。

その後、1979年に一度引退したラウダだったが、1982年にF1に復帰すると、1984年、史上最少の0.5ポイント差でアラン・プロストを下し三度チャンピオンとなった。

これまでに生まれたF1チャンピオンの中でも、特に優れた偉大なチャンピオンの1人として必ず名前があがるドライバーだった。

亡くなったのは1週間以上前のことだったが、その報を知ったのが数日遅れのことだったので、記事にする機会を逃していたが、やはり残しておこうと思う。

ご冥福を祈ります。
どうぞ安らかに・・・


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middrinn

モナコでトップでゴールした瞬間、人差し指で天を指す勝利のサインをした後、
その手を、ほぼ同時にゴールしたSV01の方に向け、「勝利者はきみだ!!」と
ニキ・ラウダがケン・アカバに告げるシーンが超カッコ良かったです(-ω-、)
by middrinn (2019-05-29 21:36) 

enokorogusa

『赤いペガサス』ですね!
実は残念ながら自分は一部しか読んでないんです(泣)
古本屋で探してるんですけど・・・

by enokorogusa (2019-05-29 21:48) 

燃焼豚

スマホが直ったのでこのブログに来ましたが、ニキ・ラウダが亡くなったと知って驚きました。私は不死鳥ではなく、炎の男という洒落にもならない愛称の方をよく聞きました。わたしがニキ・ラウダを知ったのはF1よりも大藪春彦のアスファルトタイガーという作品だったような。ご冥福をお祈りします。
by 燃焼豚 (2019-06-08 19:21) 

enokorogusa

スマホ直ってよかったですね(^^)
炎の男、知りませんでした。
ホント、洒落になりませんね(^^;)
アスファルトタイガー、ググってみましたが、全く聞いたことがない作品でした。
燃焼豚さんはいろいろお詳しいですね(^^)
by enokorogusa (2019-06-08 21:26) 

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