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興福寺・東大寺 訪問記 その7(最終回) [雑記]

今度こそ最後の記事になるはず(^^;)

さて、正倉院を右手に望みながらさらに北西へと。
道の両側はすでに現在の東大寺の敷地外になっている。
そしてたどり着いたのが転害門(てがいもん、一発で変換されなかったぞ)。
一見、なんてことの無いそれほど大きくもない門だが、国宝だ。

この辺りは建立当時の東大寺の敷地の西側最外周にあたる。
この門はそこに西面して開いていた3つの門のうち一番北側にある門だ。
伽藍中心から遠く離れたその立地が幸いしてか、2度の兵火も逃れた数少ない建造物の一つ。
東大寺のWEBでの説明に寄れば、「天平時代の伽藍建築を想像できる唯一の遺構」だという。

昔から一度は見たいと思っていたのだが、何しろ遠い。
最初からその気で訪れなければ、なかなか辿り着かないだろう。
自分も今回こそは、という思いでようやく見ることができた。
辺りを見回しても、自分たち以外には誰もいない。
お寺の雰囲気もほとんどなく、静かな場所だ。

ところで、軒先の裏側に放射状に並べて屋根を支える部材を垂木という。
通常この部材には角材(角垂木)を使用するのだが、昔は丸材(丸垂木)を使用することも多かった。
8世紀頃までの古い建築物は丸垂木となっている。
・・・という話を以前何かで読んだ気がしていたが、どうやらそう単純なことでもないらしい。
ちなみにこの転害門は丸垂木を使用している。


先程「一見、なんてことない」と書いたが、ちゃんと見れば、明らかに古い。
柱などの木材部分なども相当時代が経っていそうだ(当たり前だけど)。
この門が1000年以上も前からこの地にずっと(今となってはひっそりと)建っていたかと思うと、何とも言えず感慨深い思いがする。

転害門に別れを告げ、再び東大寺の境内へ。
南に降りていくと、やはり大仏殿からは西にやや離れたあたりにあるのが戒壇堂だ。
戒壇「院」と表記されることが多いと思うが、東大寺での呼び方は戒壇「堂」となっている。
「院」だと、昔東大寺に隣接して存在した戒壇院の伽藍全体を指す意味になる。
この建物そのものを呼ぶ場合は「堂」の方が正しい、ということか。

ようやく辿り着いた。
これまで何度も東大寺に来ながら、一度も入ることがなかったこの戒壇堂。
ここは何と言っても四天王像だ。
天平時代の作で、この時代を代表する傑作彫刻だと言われている。
四天王像は各寺々にいくつもあれど、ここの四天王像こそ、四天王of四天王S。
日本史の資料集などで写真で紹介されるのはここのものであることが多いと思う。

南西の増長天、南東の持国天の前衛組は、両目を「カッ」と見開いた憤怒の表情で、まさに、いざ仏敵を払わん、と今にも動き出すかのようだ。
増長天は口も大きく開き、まるで大声が聞こえてくるよう。
一方持国天は口をへの字に食いしばっている。
こんな顔で睨みつけられたら怖くて動けない。

北西の広目天、北東の多聞天の後衛組は、眉を寄せて遠くを見渡す、あるいは真実を見抜くかのような、鋭い眼差しだ。
前衛組が「動」ならこちらは「静」だ。
広目天は巻物と筆を持ち、多聞天は宝塔を掲げている。
自分の中の四天王像のイメージそのままだ。

ようやく見ることができた戒壇堂の四天王像を感慨深くじっくりと眺めた後、今回最後の目的地へ。
それは「東大寺ミュージアム」
2011年に新しく開館した建物で、東大寺に伝来する仏像や仏具、工芸品等を展示するところだ。
南大門の北西にできたこの建物に入るのは初めてだ。
とすると、以前に東大寺に来たのは8年以上前のことだったのか。

ここの目玉のひとつは、千手観音菩薩立像だ。
三昧堂(四月堂)に安置されていたものらしい。
42本もの脇手を持つその存在感は、見る者を圧倒する。
全ての手が違う形や何か物を持っており、よくぞこれだけの像を彫ることができたなあ、と素直に驚く。

そして、この千手観音像の左右には、かつて法華堂に安置されていた、日光菩薩・月光菩薩立像が展示されていた。
こちらは著名な仏像で、知っている方も多いだろう。
以前の堂内ではあまり明るくなく、像までの距離も遠く、他にも多く置かれている像が邪魔だったりして、近くで見ることができなかった。
しかしこの館では、明るく、近くで見ることができて、その点は嬉しかった。

自分は、本来は仏像はいるべきお堂の中で見てこそ、その醸し出す雰囲気も感じることもできていいと思っている。
ただ、今回の東大寺ミュージアムのように明るい場所で近くで見ることができるのも、また違った楽しみ方ができて、これはこれでよいと思った。
博物館の特別展も同じようなものといえよう。

さて、これで、今回の興福寺・東大寺訪問は終わり。
結構歩いたな~。
でも、転害門や、戒壇堂の四天王像など初めて見ることができて大満足だ。
また、法華堂の不空羂索観音像も久しぶりに、これまで以上に堪能した。
満足感に浸りながら近鉄奈良駅へ。

今日の奈良訪問もこれで終わり・・・じゃない。
実は行きの電車内ではすっかり忘れていたのだが、この近鉄奈良線は、平城宮跡を東西に横断しているのだ。
帰りの電車内からは南に復元朱雀門、北に復元大極殿(正確には第一次大極殿)が、その堂々たる姿を見せていた。

見てみると朱雀門から大極殿まででも結構な距離だ。
これだけでも平城宮の大きさがかなりのものだと感じることができる。
これが平城京全体となると・・・と考えると、よく1300年も前にこれほどの大きな都城を造ったな、とあらためて驚かされる。

平城宮跡は、現在国が整備を進めている。
近いうちに一度、こちらも訪れてみたいものだ。

さて、当初は3回で終わるつもりだった奈良訪問記。
思うまま書いていたら、倍以上の7回もかかってしまった。
自分の計画性の無さがよくわかる(^^;)
ただでさえ読者の少ないこのブログ、奈良訪問記はさらに少ない・・・
ま、自分の旅行記を残してみようと思って書いたので、気にしない、気にしない・・・

それでも、最後まで付き合っていただいた方には感謝、感謝です。
ありがとうございました。


nice!(1)  コメント(4) 
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コメント 4

middrinn

平城宮跡なら2回ほど歩いて通過しましたけど、
率直に言えば、近鉄奈良線が邪魔かと(^_^;)
by middrinn (2019-05-27 16:42) 

enokorogusa

やっぱり邪魔なんですね(^^;)
自分も小学生か中学生かの頃、地図を見て、え?こんなとこに線路引いてていいの?と思いました(^^;)
今は移設等も検討されてるらしいですね。

by enokorogusa (2019-05-27 20:15) 

燃焼豚

訪問記を最初から読み直すとあー、昔、伝奇小説にこんな説明あったなあと、懐かしく思ってしまう。
by 燃焼豚 (2019-09-23 17:21) 

enokorogusa

やたら長くなってしまったこの訪問記を読んでいただきありがとうございます。
小説ですか、恥ずかしいです(^^;)
それなりに読み応えを感じていただけたなら嬉しい限りです。
by enokorogusa (2019-09-24 19:52) 

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