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興福寺・東大寺 訪問記 その1 [雑記]

改元騒ぎで10連休となった今年のGW。
家でゆっくりしようとも考えていたのだが、せっかくの機会でもあるので、ちょっと出かけてきた。
行き先は奈良。
主な目的地は東大寺と興福寺。

実は、両寺含む奈良公園近辺にはこれまで5度ほど行ったことがある。
小学生時の修学旅行、高校生時の遠足、正倉院展で1度、その他に2度。
それでも今回また訪れたのは、大仏殿は2度しか行ったことがなく、久しぶりに見たかったこと、
これまで行ったことの無い史跡に行ってみたかったこと、
そして、昨年10月、300年振りに建立され、落慶された興福寺の中金堂を見たかったこと。
そんな理由で、6度目とはいえ、7~8年振りにその地を訪れることにした。

9時過ぎに当地へ到着、当日は天候にも恵まれた。
地下にある近鉄奈良駅から地上に上がってくると、もう興福寺は目の前だ。
なるほど、真新しい中金堂が、その威容を表している。
さっそく拝観しようと思ったところ、落慶法要時などに飾る、色とりどりの大きなたれ幕を、取り付けているところだった。
どうやら今日もなんらかの行事があるらしい。

「らしい」と書いたが、今回、実はあんまり下調べしていかなかった。
いつもなら行事のあるなしや、期間限定の公開など、事前に調べていくのだが、今回は行ける日が他になかったこともあり、まあ、いいやと割り切って行ったのだ。
後から知ったのだが、翌日に中金堂前庭にて藤原不比等公1300年御遠忌法要があったようで、その準備だったかもしれない。

真新しい中金堂は、柱や梁の朱色や、飾りの金色も鮮やかに、堂々たる姿だった。
ただ、これは奈良のいいところでもあるのだが、近隣に現代の高層建築がないため、いまひとつ、その大きさがわかりにくい。
しかし内陣に入ると広々とした空間が広がっていて、その大きさが伝わってきた。

中金堂の本尊は、釈迦如来坐像。
その両脇には薬王・薬上菩薩立像(重文)
そして周囲を囲むのは四天王立像(国宝)
実はこの四天王立像、近年の研究で、持国天と思われていたのが実は増長天だったことがわかったという。
同じように増長天は広目天、広目天は持国天だったという。
ということは、多聞天だけが正しかったということか。

まあ、多聞天は、ふつう宝塔を手に掲げていることが多いので、間違えることはまずないと思う。
ここの多聞天もちゃんと宝塔を掲げている。
ただ、広目天はふつうは筆と巻物を持っていることが多いと思うのだが、ここの広目天は槍?を持っていて、持国天とほとんど見かけが変わらない。
これでは取り違えてしまってもしょうがないといったところか。

他にはちょっと地味だが、像高1mもなく小さいがれっきとした重文の大黒天立像と、同じく重文の厨子入り吉祥天倚像が、左右の薬王・薬上菩薩と四天王との間に配置されている。

中金堂に続いては、ちょうど特別開扉期間中ということらしいので北円堂へ。
この北円堂は、現存する興福寺の堂宇の中では最も古い。
鎌倉時代初期、承元4年(1210年)の建造だという。

この北円堂、小さな八角堂なのだが、国宝だらけだ。
まずはこの建物自体からして国宝である。
本尊の弥勒如来坐像は運慶率いる慶派仏師の手によるもので、これも国宝。
四方を固める四天王立像は、高さこそ140cm未満と小さいが、製作年代は、桓武朝の延暦10年(791年)まで遡るという。
北円堂の建立より古く、もとは大安寺に伝来していた。
製作当初は持っていたと思われる武器や宝塔などは失われているが、これもまた国宝だ。
ちなみにこの広目天も何か槍のようなものを持っていたような姿勢だ。

しかし、この堂内には、その四天王どころか、本尊よりも有名な国宝がある。
やはり運慶の手による、無著・世親菩薩立像だ。
高校で日本史を習った方なら必ず写真を見たことがあるはず。

さて、中金堂、北円堂と見たわけだが、次にどうするかちょっと迷った。
というのは、興福寺の国宝館に行くべきか、それとも東大寺に場所を移すべきか。
ちなみに興福寺の他の堂宇、五重塔などはすでに見たことがあるので、興福寺で入ったことがないのは国宝館だけ。
かなり前になるのだが、実は、東京の国立博物館での「興福寺展」に行ったことがあり、そこでかなりの数の仏像等を見たことがあるのだ。
先の無著・世親像や、あの阿修羅像もそこで見た。

ちなみに、こういう特別展など、博物館での展示を見るのと、本来安置されている堂内で見るのとは、やはり違う。
博物館等では、照明がやや明るめで見やすく、展示方法によっては、周囲をぐるっと巡ることもできるのがいいところ。
一方、本来の堂内で見ると、受ける雰囲気が違う。
博物館で見るのが「美術品」的だとすると、堂内では「宗教」的な、何か仏像に込められた思いが伝わってくるような気がする。
それぞれ一長一短があると思うので、これはどちらがいいというものではなく、個人の好みだろう。

話を戻そう。
結局、今回は東大寺で行きたいところがいくつかあったので、そちらを優先して東大寺へと移動することにした。
なにしろ東大寺は大仏殿も大きいが、境内も相当に広いので、なかなか回りきることが難しい。
そういうこともあり、東大寺へ。

というわけで「続く」。

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コメント 6

middrinn

恥ずかしながら興福寺は藤原氏の氏寺と僧兵しかイメージがないです
(アートの観点でも春日大社の方がまだ知識があったりします)^_^;
四天王立像、古い文献とか一気に使えなくなってしまいますね(^_^;)
以前から疑問を呈してた専門家がいれば、その株は上がりそう(⌒~⌒)
by middrinn (2019-05-06 09:43) 

enokorogusa

「僧兵」のイメージ、触れるの忘れてましたが、確かにその通りで。
平安~鎌倉~室町と強大な権威と実力を持ってましたね。
「旧山田寺仏頭」(昔300円切手の図案にもなり、以前は「興福寺仏頭」と呼ばれていた)も、山田寺から「強奪」した仏像だったらしいという話ですし(^^;)。
四天王の取り違え、詳細は調べていませんが、指摘していた人がいたら、たいしたものですね。
by enokorogusa (2019-05-06 10:38) 

omachi

お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。

歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
by omachi (2019-05-07 20:48) 

enokorogusa

omachiさん、はじめてまして。
コメントありがとうございます。
返信、遅れましてすいません。
ご紹介の小説、まだ初めの部分をさらっと見ただけなので、今後読んでみようと思います。
駄文ですが、奈良訪問記続きます(^^;)
by enokorogusa (2019-05-11 19:29) 

燃焼豚

10連休で私が行った場所はゴジラじゃないほう展だけでした。もう少しどこかにいきたかったなあ。
by 燃焼豚 (2019-05-26 16:00) 

enokorogusa

「ゴジラじゃないほう展」?と思って調べたら、なるほど、そういう展示会だったんですね。
好きな人にはたまらなさそうですね(^^)
お盆に休みを取ることができれば長い連休になりそうですが、燃焼豚さんはお休み取れそうでしょうか?
by enokorogusa (2019-05-27 20:06) 

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