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桜の開花で大騒ぎ [読書]

(主に東京で)桜の開花宣言が出るかどうかで朝の情報番組は大騒ぎ。
ヒマだなあと思いつつ、古今和歌集の中の、自分が大好きなある歌を思い出す。

以下、歌、詞書、現代語訳文、解説は、
高田祐彦/訳注 『新版古今和歌集 現代語訳付き』角川ソフィア文庫 より引用。

  渚の院にて、桜を見てよめる   

 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

 (世の中にまったく桜というものがなかったならば、
        春を過ごす人の心はのどかなものであろうに)
 ~解説~
 業平らしい、意想外の大胆な仮定。桜はその美しさと引き換えにいつ散るのかという
 不安がつきまとう。いっそ桜がなければおだやかに春を過ごせるだろうにと、人々を
 捉えてやまない桜の魅力を逆説的に詠む。

  
桜が咲いた散ったで大騒ぎするのは平安時代と変わらんなぁ・・・


ちなみに自分は在原業平が好きだ。
『伊勢物語』の主人公「昔男」に比定されることもある人物で、色好みとしても有名だ。
そんな彼だが、和歌の方でも独特のセンスが感じられる独創的な歌を残している。

まず有名なのは、小倉百人一首に採られている以下の歌だろう。

 ちはやぶる神代もきかず竜田川韓紅に水くくるとは

 (あの不思議なことが多かった神代でも聞いたことがない。
        竜田川が、韓紅色に水をくくり染めにするとは)
 ~解説~
 紅葉の括り染めは神代と比較しても前代未聞のできごととする。比較のスケールが
 大きく、大胆な見立てで意表をつくあたり、業平らしい。
 
大人気コミック『ちはやふる』のタイトルにも使われたので、マンガを読んで知った方も多いだろう。
だが、『古今和歌集』には他にも面白い歌がのっている。


  堀河の大臣の四十の賀、九条の家にてしける時によめる   

 桜花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに

 (桜花よ、散り乱れてあたりを曇らせておくれ。
        老いが来るという道が紛れてしまうように)
 ~解説~
 初二句に、「散る」「曇る」など、賀の歌にふさわしくない語を並べながら、三句以
 下であざやかに祝意へと転じる。賀の席で声に出して詠み上げられたものだとすれば、
 人々の反応が目に浮かぶようである。

ちなみに「堀河の大臣」とは藤原基経のこと。初めての関白として習った方も多いだろう。

他にも、

  五条の后の宮の西の対に住みける人に、本意にはあらで、もの言ひわたりけるを、
  睦月の十日あまりになむ、ほかへかくれにける。あり所は聞きけれど、えものも
  言はで、またの年の春、梅の花ざかりに、月のおもしろかりける夜、去年を恋ひ
  て、かの西の対に行きて、月のかたぶくまで、あばらなる板敷にふせりてよめる

 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして

 (月はかつての月ではないのか、春は以前の春ではないのか。
        わが身一つはもとの身のままで)
 ~解説~
 月やあらぬ 二句の「春や昔の春ならぬ」と対になるので、「月や昔の月にあらぬ」
 の約と見るべき。「や」は下の「春や」とともに疑問。

や、

  人の前栽に菊にむすびつけて植ゑける歌

 植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや

 (心をこめて植えたならば、秋のない年には咲かないであろうか、そのような年はな
     いので毎年咲くだろう。花は散るだろうが、根までが枯れることがあろうか)
 ~解説~
 「秋なき時」は業平らしい誇張。秋がなければもちろん咲かないが、そのような年は
 ないので、毎年咲く。

などといった歌が自分は好みだ。
同じような言葉やリズムを重ねて畳み掛けるようにして詠んだり、ちょっと無理のある?逆説的な仮想をしていたりするのが面白い。

そんな業平の歌だが、『古今和歌集』の選者のひとり紀貫之には、その仮名序で

 在原業平は、その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花の色なくてにほひ残れるが
 ごとし。

と一刀両断されちゃってる(^^;)


さて、この記事を書くにあたっては手もとにある前掲書だけに頼って書いたので、歌の解釈については他の注釈者と比べてみないと、なんとも言えない面がある。
たとえば、「月やあらぬ」や「植ゑし植ゑば」などは意訳が難しそうだ。
今度図書館で他の本と読み比べしようかな。
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コメント 6

middrinn

古今集の「暮ると明くと目かれぬものを梅の花いつの人まに移ろひぬらむ」という
紀貫之の歌、桜でも当てはまりそうなので、やはり常にチェックが必要かと(^_^;)
仮名序の業平評、片桐洋一『古今和歌集全評釈(上)』(講談社学術文庫,2019)も
「仮名序を書いた紀貫之はこの在原業平をかなり尊敬していたようである。このこと
は業平の歌を三十首も『古今集』に採歌していることでもわかるし、『土佐日記』に
おいて前代の歌人で業平だけが二首の歌を引用されていることでもわかる。」云々と
記した上で「この・・・という批評は、それにしては厳し過ぎる。」云々と(^_^;)
by middrinn (2019-03-21 22:48) 

enokorogusa

貫之の歌ですか、恥ずかしながらこれは盲点でした。
middrinnさんにはいろいろと教えていただいてホント勉強になります(^^)

確かに序文でこきおろした(^^;)割に三十首も選んでいますし、『伊勢物語』と共通する歌は長い詞書もほぼそのまま使われていて、業平の「特別待遇」感が。
業平の妻は紀有常の娘で、貫之の祖父が有常の従兄妹ということで貫之と業平の血縁的繋がりもあるといえばある・・・
そう考えると仮名序の批評は貫之の本心だったのかどうか・・・
by enokorogusa (2019-03-22 19:06) 

middrinn

昨日から(再び)読み始めた某日記の冒頭の件に出てきた
「人ま」の語釈で貫之の上記歌が用例として挙げられてて
たまたま知っただけの知ったかぶりで、汗顔の至り(^_^;)

by middrinn (2019-03-22 22:13) 

enokorogusa

いえいえ、とんでもないです(^^)
たまたまとおっしゃいますがさすがの引き出しの多さで。
こちらこそmiddrinnさんのブログへなかなかコメントできず失礼しています。
by enokorogusa (2019-03-23 20:09) 

燃焼豚

私の家の近くには桜の木の枝が地面に突き刺してあったが根付いたらしく、桜の花を咲かせていた。視線より下に咲く桜もそれなりに風情があります。
by 燃焼豚 (2019-04-13 19:25) 

enokorogusa

それはまた風流でいいですね。
確かに桜は大きく上を仰いで見るもの、と無意識に思っていますので、見下ろす桜、というのは不思議な感じがしそうです。
ちなみに自分の住む地域ではようやく満開になりつつあります(^^)
by enokorogusa (2019-04-14 21:14) 

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