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ちょっと前のマンガ 『ヒカルの碁』は傑作 ※ネタバレ注意 [コミック]

ある日小6の進藤ヒカルは、おじいちゃんの家の蔵で古い碁盤を見つける。それを手にした瞬間、碁盤に宿っていた平安の天才棋士・藤原佐為の霊がヒカルの意識の中に入り込んだ。囲碁を心から愛する佐為、さらに名人を父に持つ天才少年・塔矢アキラとの出会いにより、ヒカルは徐々に囲碁への興味を持ち始める。
 ~ヒカルの碁単行本あらすじより

というわけで、今回は

『ヒカルの碁』(原作/ほったゆみ 漫画/小畑健 監修/梅沢由香里)

週刊少年ジャンプ連載は1999年2・3合併号 - 2003年33号

ちなみに「ちょっと前」っていつだよ!「懐かしい」とどう違うんだ?という突っ込みはスルーで。
あえて言えば10代までが「懐かしい」で20歳以降がちょっと前?な感じ。
まあ、記事の本筋とは関係ないのでその辺はテキトーに。

さて、本作はあらためて説明するまでもなく、日本中の子供たちの間に空前の囲碁ブームを巻き起こした傑作だ。
自分にとっては10年くらいまえに単行本で読んだのが初見かな?
ちなみにアニメは見たことがない。
最近再読する機会があったので久しぶりに読んでみた。

で、思った。
面白い! 
強烈に!
囲碁を全く知らない自分が読んでもはまってしまう。
囲碁を始める子供たちが次々と現れたのも納得。

やはりまずは何と言っても、「囲碁」という、多くの子供にとって触れたことのない、失礼だがマイナーな競技を、よくぞここまで「魅力ある」競技として描いたのが素晴らしい。
マイナー競技と言えば、それこそ昔、鳩レースを扱った『レース鳩0777(アラシ)』という作品があったが、そこまでとは言わないものの、マイナーな競技なのは間違いない。
週刊少年ジャンプという、超メジャー誌で、よくぞ連載を始められたものだと思うが、読んでみれば納得の面白さだ。

囲碁は、勝ち負けを争う競技という点では体を使うスポーツと同じ面がある。
そう考えれば、囲碁の対局は、スポーツの試合と同様に描くことができる。
ただし、ルールや用語が読者にほとんど知られていないことが、通常のスポーツとの大きな違いだ。
また、体の動きについても大きく意味合いが違う。
ほとんどのスポーツでは、大きく体を動かすため、「絵」を描く「マンガ」という媒体との相性は非常に良い。
ところが囲碁は、体の動きが競技のメインではない。
極論をいえば碁石を掴んで盤に打つだけだ。

そのような「ハンデ」を背負ってなお、対局中のセリフに専門用語を織り交ぜながらも、モノローグを有効に使い、登場人物の心象を読者に上手く伝えることで読者を登場人物目線にさせて、対局の緊迫感や攻防の面白さをしっかりと描いているのが素晴らしい。
また、碁石を打つ動作でも、表情、アングルや背景、細かくは碁石の握り方などの作画で工夫をし、やはり心理描写や緊迫感を出すことに成功している。

このように、登場人物の動作やセリフ等を丁寧に描いて囲碁を(よく知らないけど)面白い競技だと思わせたことが、この作品のヒットのいちばんの要素だと思う。

もちろん、この作品の面白さの要因はそれだけではない。
主人公ヒカルの成長の描かれ方も素晴らしい。
当初はやんちゃな感じの子供で、囲碁も佐為の影響で面白半分で始めたのが、だんだん囲碁に対してまっすぐに向き合うようになり、人間的にも成長していく。
そして、自分の力で勝つことに喜びを覚えるようになり、強くなるための努力を惜しまなくなり、急激に力をつけていく。
やがて、ライバル塔矢アキラを追ってプロ棋士になることを決意し、碁の世界へと飛び込んでいく。
ここで上手いのは、佐為の存在は確かにヒカルを強くする大きな要因とはなったが、それは、ヒカルが本来持っていた素質の開花を手助けしたに過ぎないように描いたことだ。
最終的にヒカルは、後述する佐為との別れと再会を機に、ヒカル自身の力で、強くなっていくのだ。

佐為の退場の仕方も秀逸だ。
ヒカルがどんどん強くなっていき、佐為が自分の役目は終わったと自覚しやがて自分は消えるとわかってヒカルにそのことを告げるのだが、ヒカルはいつもの戯言だと思って相手にしない。
そしてヒカルがそれと気付かないうちに消えてしまう。
読者から見ても、え?と思うくらいあっけなく。
その後、全く登場することがない。
(厳密には3度出てくる。1度目は佐為編の最終話でヒカルの夢に出てくるが何もしゃべらない。あくまでヒカルが佐為の夢を見ているだけだ。2度目は連載終了後?の番外編で塔矢との最初の対局を佐為目線で見た話になっている。3度目は北斗杯の最後、セリフだけだが佐為の意識が現れたようにもみえる。)

安っぽい話のつくりであれば、一度や二度、復活してもおかしくない。
また、読者からも佐為の再登場を願う声は相当多かったはずだ。
しかし、そういう誘惑に負けずに、佐為を再登場させなかった作者の意志の固さは見事だ。
そのおかげで、佐為が本当にいなくなったとわかったときのヒカルの悔恨の号泣がとても胸を打つ。

佐為が消えたのは自分のせいだと思いつめ、碁を打つのをやめてしまったヒカル。
だがやむを得ず打った碁の中で、自分の打つ手が佐為の打つ手と同じなのに気づき、「自分の碁の中に佐為がいる」「佐為と会うためには碁を打つことだったんだ」と静かに涙し、碁を打つことへの決意を新たにする。
この、佐為を自分の碁の中に見つけるというアイデアは特に秀逸だと思う。

また、ライバル塔矢アキラとの関係もうまく描いている。
名人を父に持ち、将来有望、同世代では敵なしだった塔矢アキラと対戦し、囲碁のド素人だったヒカルが佐為の強さを自覚せずに佐為の言うままに打って完勝してしまう。
ところが、中学囲碁部の対戦ではヒカルが自分で打って惨敗。
また、ネット碁の謎の強豪「sai」に最初の対戦の時のヒカルを重ねる塔矢。
ヒカルの謎めいた力をはかりかねる塔矢は、ヒカルの存在を常に意識することになる。

これだけの人気作品だけに、さぞや連載も長かろうと思いきや、ジャンプコミックスで23巻で終わっている。
そのうち、18巻は読み切り番外編集、19~23巻は日中韓の若手が戦う北斗杯編だ。
メインの佐為編はわずか17巻までだ。
対局シーンで尺を稼ぐこともほとんどなく、テンポよく、濃密なストーリーが描かれる。
対局シーンが短いのは、やはり囲碁という静的な競技の描写をいたずらに延ばしては、読者が飽きてしまうこともありうるからだろう。
その判断は正解だったと思う。
佐為編は17巻で終わるが、非常に読み応えのある中身となっている。

ただ、本来であれば佐為編で終わりたかったところ、あまりの人気の高さに、編集部の意向で次の北斗杯編を続けざるを得なかったのだと思う。
結局北斗杯編は残念だが蛇足の感を禁じ得ない。
このところは作者も本意ではなかっただろうと思う。

そうはいっても、それでこの作品の評価を下げるものでは決してない。
囲碁という身近ではない競技をとりあげながら、ここまで面白く、夢中になるような作品を作り上げた作家陣には大いに拍手を送りたい。
素晴らしい作品を生み出してくれたことに改めて敬意を表したい。


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燃焼豚

ヒカルの碁はアニメしかみていませんが、幽霊に出会った少年が囲碁をすると斬新すぎる物語が凄かったです。ジャンプはみていなかったがマイナー競技でありながら人気があるのは納得。同じマイナー競技の漫画ではアイシールド21があったかな。小幡先生の絵は小説の挿し絵で見たくらいだかやはり旨かった。
by 燃焼豚 (2018-12-18 19:44) 

enokorogusa

幽霊という非現実的な斬新さと、囲碁の世界のリアルさが作品の中でケンカしてないんですよね。
これはなかなかできないことだと思います。
小畑健の画の力も人気の要因でしょう。
by enokorogusa (2018-12-19 18:46) 

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