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中日ドラゴンズファンの憂鬱 ~強い球団を応援する楽しさを知ってしまったがゆえに~ その1 [その他スポーツ]

このブログで野球を取り上げるのはこれが初めてだ。
自分は中日ドラゴンズのファンだ。
自分が生まれた1972年といえば、読売ジャイアンツのV9の最中。
そのジャイアンツのV10を阻止したのが1974年の中日ドラゴンズ。

実は自分は当時名古屋に住んでいた。
もちろん、物心つくかつかないの時期だが、名古屋はものすごい盛り上がりだったと聞く。
街中やテレビ・ラジオからは、「燃えよドラゴンズ」が板東英二の歌声にのせて溢れかえった。
ちなみにこの曲は、後にタイムボカンシリーズの主題歌を担当することになる山本正之のメジャーデビュー曲でもある。
家でも兄たちが大声で歌っていたそうだ。
そんな環境で育って、ほかの球団のファンになれと言う方が無理だ(笑)

その後名古屋から別の地域へ転居したのだが、もはや時すでに遅し、小学生のころには、熱狂的なドラゴンズファンとなっていた。
どれぐらい熱狂的かというと、テレビ中継をみながら、スコアをつけていたほどである。
スコアとは高校野球でマネージャーがつけているアレである。

ところが、肝心のドラゴンズは、1974年の優勝以降は低迷続き。
そのドラゴンズに久しぶりに優勝のチャンスが巡ってきたのが1982年。
自分にとっては、1974年の優勝は覚えているわけないので、生まれて初めてドラゴンズの優勝を見るチャンス。
当然、日々の勝敗に一喜一憂する毎日。
しかも優勝を争う相手は宿敵ジャイアンツ。
そう、大方そうだと思うが「ドラゴンズファン≒アンチジャイアンツ」な時代だった。
なのでよけいに盛り上がる。
それが最高潮に達したのが、今でも覚えている、9月28日からのジャイアンツとの3連戦、人呼んで「ナゴヤ決戦」

実はこのシーズン、ドラゴンズは史上最多のシーズン19引き分け試合を記録している。
おまけに、試合中止が多く、ジャイアンツよりかなり多くの試合を残していた。
そのため、この時点で順位こそ2位ながら、3連戦初戦に勝つとドラゴンズにマジックが点灯するという状況だった。

だが、初戦のジャイアンツの先発は江川。
まだ全盛時の江川である。
間違いなく当時最高の投手だ。
その江川相手にドラゴンズは劣勢。
9回表を終わって2対6と4点のリードを許していた。
当時は今のように継投策が当たり前でなかった頃、先発完投は当たり前の時代。
もちろん、ジャイアンツにも角という抑え投手がいたが、4点差、しかもその先発が江川とくれば、続投は当たり前。
ドラゴンズは敗戦濃厚な状況に追い込まれていた。

ところが、本当に野球というのはわからないものである。
何と9回裏に4点差を一気に追いつき、江川をマウンドから引きずり下ろしたのだ。
そして延長10回、大島が角からヒットを放ち、劇的なサヨナラ勝ち。
ドラゴンズにマジックが点灯した。

そしてレギュラーシーズン最終戦。
ドラゴンズは大洋ホエールズ相手に勝てば優勝、負ければジャイアンツの優勝というこれまたシビれる試合をものにし、見事8年ぶりの優勝を遂げた。
自身初めて見るドラゴンズの優勝に熱狂的中日ファンの少年はそれはもう喜んだ。
正直言って、これまでいちばん印象に残っている優勝はこのときのものだった。
人生初というのはそれほど大きなものなのだ。


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コメント 2

燃焼豚

この頃はプロ野球が華やかという言葉が似合ってました。
by 燃焼豚 (2017-11-06 12:21) 

enokorogusa

>燃焼豚さん

ジャイアンツ戦を放送しておけば視聴率20%は固かった時代ですよね。
良くも悪くも強いジャイアンツが求められ、他チームのファンにも受け入れられいていました。特にセリーグのファンにとっては。
by enokorogusa (2017-11-06 19:31) 

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